映画『アオギリにたくして』制作スタッフ
企画・製作・プロデューサー・主題歌:中村里美
製作・プロデューサー・音楽監督:伊藤茂利
脚本・監督:中村柊斗 チーフ助監督:中根 克・上野山雅也
撮影監督・編集:倉本和人・曽根剛
撮影:佐久間栄一 他
照明技師:淡路俊之 他
録音技師:山口 勉
美術:中根加代估 他
ヘアメイク:村松直美
音楽監督:伊藤茂利
主題歌「アオギリにたくして」作詞・作曲・歌:中村里美
挿入歌:「ひな鳥へ」作詞・作曲・歌:中村里美
ギター:伊藤茂利
ピアノ:坂井千浪
ベース:花輪春比古
ドラム:岩瀬立衛
二胡:寺嶋級江
バイオリン:GEN(Dor moll)
ピアノ: 杉田靖典
アルトサックス:小笠原末男
挿入曲(作曲)伊藤茂利
「優しさの瞬間」「MOTHER」
「風のワルツ」「とどかぬ想い」
「No Rain, No Rainbow」
「Twilight Cloud」「May Good me」
「Moon Dream」
挿入曲(作曲)中村里美
「命の音色」「Never Aagain」
「愛が流れている」
レコーディングエンジニア:岡部晃久
MA:山下裕康
題字・イラスト:吉田しん子 他
チラシ・パンフレット製作:吉田しんこ・三浦武治
公式ウェブサイト制作:渡川修一
協力:映画「アオギリにたくして」制作委員会
≪広島応援団長:梅谷忠範≫≪東京応援団長:上田紘治≫
≪制作協力≫momo企画/ハッピープラザ/Rei23/小笠原企画/e-Kenプロ
≪後 援≫ 広島県/広島市/長崎市/広島市教育委員会/東京広島県人会/広島県医師会/広島県看護協会/広島県歯科医師会/広島県薬剤師会/広島YMCA
≪支 援≫ 財団法人広島国際文化財団「ヒロシマピースグラント2012」
≪協 力≫ 広島フィルム・コミッション/株式会社ステージユニオン広島/ANAクラウンプラザホテル広島/広交タクシー株式会社/PAPERA/株式会社プロミックス/株式会社大前コーポレーション
制作協力「アオギリにたくして制作委員会」
【顧問】原田康夫(元広島大学学長)【代 表】中村里美(ミューズの里 代表取締役・企画・製作・統括プロデューサー・主題歌&挿入歌)/【副代表】伊藤茂利(ミューズの里 専務取締役・音楽監督・製作・プロデューサー)/伊藤直子(元被爆者中央相談所理事)/大久保賢一(弁護士・日本反核法律家協会会長)/山田玲子(豊島区被爆者の会会長/東友会副会長)/大川須美(元CANメンバー)/岩城康一(東邦ホールディングス(株))/鎌田信行(アートギャラリー代表)/田中正栄((株)開陽代表取締役)/渡川修一(映画カルフのように)/石塚佐和子(保育士/介護福祉士)
※映画『アオギリにたくして』の製作会社ミューズの里は、この度の映画製作において「製作委員会方式」はとっておりません。弊社の「制作委員会」は、映画『アオギリにたくして』がミューズの里にとって初の映画製作であったことから、企画・製作・プロデューサーである中村里美・伊藤茂利が信頼を寄せる知人・友人に名前を連ねていただき、作品に託した想いを叶えるために二人を応援してくださった方々です。また制作委員会は、2013年7月の映画完成と共に、その役割を終えています。映画制作にあたり、「アオギリにたくして制作委員会」の皆様にお力添えいただき、大変ありがとうございました。改めて心より感謝申し上げます。
企画・製作・著作・配給:株式会社ミューズの里
配給協力:映画センター全国連絡会議
撮影形態: ビデオデータ撮影(ヴィスタサイズ ステレオ)
データー:ブルーレイ または、DVD
時間:100分(日本語字幕・英語字幕もあります)
第一回JASRAC音楽文化賞受賞
受賞理由:『アオギリにたくして』は、主題歌や挿入歌など、音楽が被爆者の方の想いを効果的に伝える役割を果たしている。平和の尊さや命の大切さを訴えかけていく取り組みとして、原爆投下から70年になろうとしている今、顕彰する(日本音楽著作権協会)
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映画『アオギリにたくして』製作経緯
文:中村里美(企画・製作・プロデューサー・主題歌)
映画『アオギリにたくして』は、広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下で修学旅行生や世界の人々に被爆体験を語り続け、アオギリの語り部と呼ばれた沼田鈴子さんの前半生をモデルに製作した初プロデュース作品です。

▲被爆者の沼田鈴子さんと映画『アオギリにたくして』製作者の中村里美。沼田さんの87歳のお誕生に広島のフェニックスホールにて
被爆者の沼田鈴子さんに初めてお会いしたのは、今から40年の1986年。インターネットも携帯電話もまだ普及していない時代でした。
日本文化の紹介と共に、10フィート運動で制作された「にんげんをかえせ」やアニメの「ピカドン」、丸木位里さんと俊さんの描いた「原爆の図」のスライドなどを、アメリカの学校や教会で上映会をする1年間の民間外交プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の民間大使として単身渡米することになり、事前学習で広島を訪れたときに沼田鈴子さんからお話を聞かせていただきました。

知れば知るほど、「戦争や原爆の体験のない者に一体何が伝えられるのか?」と不安ばかりが大きくなる中で、渡米前のひと夏を広島で過ごしました。原爆養護ホームに通いながら、たくさんの被爆者の方々との出会いをいただきました。「伝えなければ」という気負いは、いつの間にか「伝えたい」という想いへと変わっていきました。
それにしても、原爆を投下された国で生まれ育った私が、原爆を投下した国に行ってヒロシマ・ナガサキを伝えることは大変勇気のいることでした。それでもやってみようと思えたのは、生き地獄を体験しながらも憎しみの連鎖を断ち切り、世界中の子どもたちの幸せを祈りながら「自分と同じ苦しみを、世界中の誰にもさせたくない」と願う被爆者の方々の想いこそ、日本が世界に発信すべき大切なメッセージだと感じたからです。

アメリカでは、「ヒロシマ・ナガサキ」といえば「パールバーバー」が返ってきました。アジアの人々を苦しめた日本人に平和を語る資格はないとまで言われたこともありましたが、折り鶴を一緒につくったり日本文化の紹介をしたりしながら、原爆の話をする前に心のコミュニケーションをとることで反応が変わっていきました。
同じ地球に住む同じ人間の上に何が起きたのかを知った時、最初の言葉が変わります。「パールハーバー」ではなく、「今、被爆者は、どんな気持ちで生きていますか?」「被爆者は、僕たちのことが嫌いですか?」へと。
「この映画を世界中のリーダーに見せてください!」
「ヒロシマ・ナガサキを二度と繰り返さないために、私たちが出来る事は何だろう?」
今でも、原爆映画を観た後に、被爆者のメッセージを伝えた時の生徒たちの瞳を忘れる事が出来ません。私は、一生かけてお世話になったヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージを伝え続けることに意味があると感じました。
20軒以上のご家庭にホームステイさせていただきながら、アラスカ・オレゴン・オハイオ・ニューヨーク・オハイオ・ネバダなどで、1年間280回のプレゼンテーションを通してヒロシマ・ナガサキを伝え、約1万3000人の人々と交流しながら被爆者のメッセージを伝えた若き日の体験は、私の人生の原点です。

帰国後に私は、かつての自分と同じように無関心な人たちに被爆者のメッセージを伝えるために、一個人の立ち位置からの平和づくりへの挑戦を始めました。
戦後50年には、日本で暮らすアメリカ・ドイツ・中国・韓国・フィリピンなど8カ国の出演者と共に被爆体験を伝える朗読劇を企画・プロデュースしました。それぞれの国でヒロシマ・ナガサキがどの様に伝えられているのか、原爆投下を各国がどの様に受け止めたのかについて率直に語り合い、国際電話でそれぞれの祖父母や両親の戦争体験の聞き取りをしてもらいました。被害と加害の両側面の歴史から学ことで、教訓を未来に活かし、平和な世界を築く力となると感じました。

多国籍の出演者をつれて広島を訪れ、広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下で待ち合わせをして、沼田鈴子さんに会いにいきました。沼田さんのお話は、国籍を超えてしっかりとみんなの心に届いていました。

伝える術のない想いを詩に、言葉にならない想いをメロディーに託しながら歌をつくり始めたのは30歳後半頃からだったでしょうか。年月の流れと共に、お世話になった被爆者の方が年々亡くなっていく悲しみの中で、何かせずにはいられない思いから、2008年8月6日より歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブ活動をスタートしました。
※当初は「私のヒロシマ・ナガサキ」というタイトルで全国公演をスタートし、現在は「いのちの音色」として国内外でライブ活動をしています。

全国ライブ行脚の中で、広島ライブの時に沼田鈴子さんと再会し、沼田鈴子さんの被爆体験の朗読をさせていただくことになりました。
東京に戻ると、ふた葉を出した小さなアオギリの苗が届きました。
沼田さんが送ってくださった可愛い被爆アオギリ3世の苗を見て、思わず口ずさみながらつくった歌が「アオギリにたくして」でした。

沼田さんの87才のお誕生日に、広島のフェニックスホールで沼田さんに捧げる「アオギリにたくして」を歌うことになり、ギタリストの伊藤茂利と共に広島に招待されました。
お誕生日の前日、沼田さんのためだけに歌いたいという思いでお部屋にうかがってベッドの傍で歌い演奏すると、沼田さんが涙を流しながら聞いてくださいました。伊藤の手を握り締めながら「あなたに頼んだよ」とおっしゃった沼田さんの言葉に、伊藤も涙していました。

2010年秋、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所にて、被爆アオギリ2世の植樹と海外初のピースライブが開催されることになり、広島市長のメッセージと共に、沼田鈴子さんが最初の一堀りをされ、仏師の川島康史様が「微笑みの輪が広がっていきますように」との想いを込めて制作された木彫りの像をお届けしました。
(財)カーネギー地球物理学研究所の被爆アオギリは、私の身長を遥かに超えて、大空の下で天高くスクスクと育っています。

私たちが最後にお会いしたのは、沼田さんが亡くなる1か月前のことでした。
自らの体験を通して、戦争の愚かさ、平和の尊さ、核の恐ろしさ、そして平和づくりの大切さを生涯伝え続けた沼田鈴子さんは、2011年3月11日に起きた東日本大震災の4ヶ月後の7月12日に永眠されました。

亡くなる1か月前に沼田さんとお会いした時、「生きて、伝えなければ……」
と、力の入らない握りこぶしを膝の上に立てておっしゃった言葉が今も忘れられません。
最後まで、被災地の方々や福島原発を案じ続けていました。
「元気になったらアオギリの木の下で、子供たちと一緒に『アオギリにたくして』を歌いましょう」
これが沼田鈴子さんと交わした最後の言葉となりました。
「何か私たちに出来る事はないか…」と考える日々が続きました。
ドキュメンタリー撮影を始めたばかりの時に沼田さんが亡くなる中で、劇映画に変更し、伊藤と共に引き続き映画を完成させる決意をしました。

映画製作は、これまでの人生の中で体験した事のない大変な日々の連続でもありましたが、応援してくださるたくさんの皆様のご支援・ご協力をいただきながら完成することができました。


初号試写会の時、撮影監督の倉本和人さんが、「自分の40年以上の映画人生を振り返っても、これほど素晴らしい現場はなかった」と涙ながらに語る姿に感謝の思いでいっぱいになりました。
映画『アオギリにたくして』にご協力くださった全ての皆様に感謝いたします。
生まれて初めてつくった映画作品でもあり、至らない点もたくさんあったことと思います。しかし、それでも、その時の自分にできた全てを尽くしてつくりあげた作品です。

この映画の中には、沼田鈴子さんが応援してくださった「いのちの音色」ライブで歌い奏でてきた楽曲が流れています。
2013年夏に劇場公開した翌年、映画『アオギリにたくして』は,
「主題歌や挿入歌など音楽が被爆者の方の想いを効果的に伝える役割を果たしている」として、第一回JASRAC音楽文化賞を受賞いたしました。

映画『アオギリにたくして』は、今も日本全国・海外で自主上映が続いています。世界各国に上映の輪が広がっていくように、これからもより一層地道な努力を積み重ねてまいります。
この映画をご鑑賞くださった皆様の心に、希望と平和の種がまかれていくことを心より祈っています。

⬇️JASRAC(日本音楽著作権協会)公式HP(中村里美・伊藤茂利インタビュー)
https://www.jasrac.or.jp/profile/culture_award/interview/aogirinitakushite_seisakuiinkai.html



<朝日新聞・人欄:中村里美>

※映画『アオギリにたくして』はDVDの発売を一切しておりません(著作権について)。上映活動の一つ一つが平和の種蒔きとなることを願って、上映活動に力を注いでおります。皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。
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※映画『アオギリにたくして』はDVDの発売、配布を一切しておりません(著作権について)。上映活動の一つ一つが平和の種蒔きとなることを願って、上映活動に力を注いでおります。皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。
※ ディスクを無断で複製・放送・上映・公開・レンタルすることは法律で禁止されています。著作権違法行為が行われている場合は、ミューズの里までお知らせください。
中村里美【企画・製作・統括プロデューサー・主題歌&挿入歌・挿入曲】

◎シンガーソングライター(東京・大田区出身)
1986年、民間外交プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペーン」民間大使の第一期生として渡米。原爆映画「にんげんをかえせ」「ピカドン」等の原爆フィルム上映をアメリカの学校や施設等で行い、被爆者のメッセージを伝える。広島のRCCによって2年間に渡り撮影されたドキュメンタリー番組「ヒロシマってなぁに?」は、その年のTBS系列ドキュメンタリー優秀賞受賞。
帰国後、体験記の出版や講演活動を行いながら、27歳で外国人向け雑誌の編集長に就任。企画営業&流通チーフも兼任しながら、異文化間理解をテーマに様々な国際交流イベントの企画運営を行う。当初、4頁の無料配布からスタートした雑誌「ひらがなタイムズ」はその後、全国流通を通り、世界80カ国以上に読者を広げ、これまでにないユニークな国際誌として話題を呼び、NTTタウン誌大賞受賞。
1995年夏、8カ国の出演者の祖国の戦争体験と共に、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験を伝える多国籍出演者による日本語朗読劇「トンボが消えた日」を企画・プロデュース。CNNなど海外メディアでも放映され、戦後50年特集としてテレビ朝日2時間特番となる。その後も公演を続け、NHKで放映された「世界へヒロシマを語り継ぎたい~8カ国の若者たちの朗読劇~」は、世界200カ国以上に翻訳され放映。
2008年8月6日、株式会社ミューズの里を設立。「いのち」「異文化の相互理解」をテーマに、国籍・世代・ジャンルを超え、映画・音楽・本づくり等を通して人々の心が豊かになる媒体を創造し、国際社会の平和の実現に貢献する事業を目指している。
「ミューズの里」設立日の夜、これまでお世話になった広島・長崎の被爆者の方々の体験の朗読と、世界に被爆者のメッセージを伝える体験の中から生まれた歌やエピソードにより構成された〜歌と語りで伝えるヒロシマ・ナガサキ〜「いのちの音色」ライブの全国公演をスタート。2010年秋には、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所で海外初のピースライブを行い被爆アオギリ2世の植樹を行う。
2013年夏に完成した、初プロデュース映画『アオギリにたくして』は、1986年に出会った被爆者の沼田鈴子さんの前半生をモデルとして描いた作品。現在、日本全国での自主上映が続いている。上映回数は400箇所700回(2016年現在)を越え、2016年6月には初の海外試写上映会を米国6箇所で行う。
主題歌&挿入歌の作詞・作曲・歌も手がけた映画「アオギリにたくして」は第一回JASRAC音楽文化賞受賞。第2作目となるドキュメンタリー映画「かけはし」は2017年2月より劇場公開。企画・製作・統括プロデューサーをつとめ、主題歌「かけはし」の作詞・作曲・歌を担当。現在、3作目となるドキュメンタリー「いのちの音色」製作中。
※著書に「アメリカにだって伝えちゃえ」(汐文者)/日英対訳・絵本「おりづるにのって」~サダコと子どもたちの物語~(発行:ミューズの里/発売:ほんの木)//CDアルバム「アオギリにたくして」/CDアルバム「いのちの音色」etc.
◎歌と語りで伝える「いのちの音色」⇒ https://musevoice.com/peacelive/
伊藤茂利【製作・プロデューサー・音楽監督・挿入曲&ギター】

◎ギタリスト(東京都・品川区出身)
高校時代に、来日中のジャズピアニストのマル・ウォルドロン氏に電話越しにギターを聞いてもったことがきっかけとなり、本格的にギタリストへの道を歩み始める。1980年代後半に、キングレコードから『マグネチックストーム井上博&RASA』でアルバムデビュー。ジャズスクール『メーザーハウス』の講師を勤めながらライブ活動。2006年1月、オリジナルインストバンド『Natural Vibration』を結成。現在、株式会社ミューズの里専務取締役。「表現の場づくり」をテーマに、オープンマイク等、表現者に開かれた場づくりのプロデュースを行っている。
2010年、米国ワシントンの財団法人カーネギー地球物理学研究所にて、シンガーソングライター中村里美と共に海外初のライブを行い、広島市長のメッセージを届け、広島平和記念公園の被爆アオギリの種から育った被爆アオギリ2世の植樹を行う。
現在、歌と語りで伝える「いのちの音色」全国公演を行っている。中村里美とのデュオによる歌・ギター演奏・トーク・朗読によるライブで、日本全国の小・中・高校や大学、企業、NPO等、さまざまな施設での公演活動を行っている。
2013年夏に完成した「アオギリにたくして」では、音楽監督とプロデューサーを務める。2014年秋公開の「LAST LOVE」(石川均監督作品/出演:火野正平 他)ではギター音楽を務める。製作・プロデューサー・音楽監督をつとめたドキュメンタリー映画「かけはし」劇場公開が2017年2月よりスタート。2020年7月劇場公開の映画『癒しのこころみ〜自分を好きになる方法』ではギター演奏で参加。2020年内に公開予定の映画『祈り-幻に長崎を想う刻(とき)』(監督:松村克弥/主演:高島礼子)ではギターの流し役で初出演。現在、ドキュメンタリー映画『かけはし』製作中。
【脚本・監督】 中 村 柊 斗
◎小説家・劇作家・脚本家・映画監督(東京都・大田区出身)
成蹊大学中退後、演劇活動に入り、自ら劇団を作る。劇団解散後は劇作家としてジャパンアクションクラブ(現ジャパンアクションエンタープライズ)に作品を提供。劇団四季にて外国人俳優の日本語指導にも当たっている。2010年、『夢幻の如く―異聞・本能寺の変』(廣済堂出版)で作家デビュー。『奇蹟の如く―異聞・島原の乱』(廣済堂出版)、『最後の贈り物』(双葉社)等が好評発売中。2013年、小説『アオギリにたくして』徳間文庫より出版。
【撮影監督・編集】 倉 本 和 人
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1974年大卒後 アニメーションスタジオ、トップクラフトにて「宇宙戦艦ヤマト」「サザエさん」「タイムボカン」「指輪物語」「メガネドラッグCF・桃太郎編」等多数撮影担当。同時に撮影技師伊東英男氏(愛のコリーダ)並びに久我剛師に師事。1978年、にっかつロマンポルノ和泉聖二作品でカメラマンデビュー。以後、フリーカメラマンとして山本晋也・廣木隆一・高橋伴明・滝田洋二郎監督らと組み映画撮影担当する。他に企業PR、CM、単発テレビドラマなどあらゆるジャンルで活躍。CX制作2時間ドラマ「都会のタコツボ師」でギャラクシー賞受賞。萩本欽一プロデュースによる劇映画 「ある臨死」 のストーリー原案、撮影、音楽、編集、を担当する。演出家としても数本のVシネマなどの監督作品を持つ。監督作品「ギニーピッグ/ノートルダムのアンドロイド」「彼女3/kanojyo no sanjyou」「地球の裏の歩き方・テキサス編/リオ編/チリ編」等。
撮影作品「イッセー尾形のロストワールド」「Mr。ゴーストによろしく」「ある臨死/生きる」「コンクリート」「シナリオライター・松本マリ子の場合」「通販生活CM」「そうかもしれない」「湾岸フルスロットル」「前橋ヴィジュアル系」等。
※映画「アオギリにたくして」の収益金の一部は、世界各国の学校や施設での上映&ライブや文化交流、平和への思いを被爆アオギリ2世・3世の種や苗にたくして植樹するミューズの里「AOGIRIプロジェクト」事業の活動に使われます。
