製作経緯・ストーリー

ヒロシマからの愛の伝言
平和の種を人々の心に蒔き続けた実話に基づく感涙の物語

 

結婚式まであと3日、私の人生は一変した――

広島で被爆したアオギリの苗を全国各地で植樹し始めた田中節子。世界的に広がりつつあるこの活動に興味を惹かれ取材し始めたライターの片桐千草は、節子の妹から彼女の生前の日記を預かる。そこには原爆により足を失った女性の苦しみが克明に綴られてい…。

実在の被爆者・沼田鈴子さんをモデルに、アオギリと被爆した一人の女性(田中節子)の奇跡の物語を実話に基づき描いていく。絶望の淵に何度も立たされながら、やがて節子は平和の語り部として生きていく決意をする。節子がアオギリにたくして思いとは…。

壮絶な人生を歩んだ、過酷にして清澄な女性の軌跡。

 

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製作経緯

 

映画『アオギリにたくして』は、アオギリの語り部と呼ばれ、広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下で修学旅行生や世界の人々に被爆体験を語り続けた故沼田鈴子さんの前半生をモデルに製作された映画です。

広島平和記念公園にある被爆アオギリは、爆心地から1.3kmにあった元広島逓信局の中庭で被爆しました。熱線と爆風を受けた爆心地側の幹半分は、焼けてえぐられていましたが、樹皮が傷口を包むように成長し、芽を吹きました。アオギリの小さな芽は、70年は草木も生えないと言われた広島で、たくさんの人々を勇気づけたといいます。1973年に広島平和公記念公園に移植された被爆アオギリは、今も元気にヒロシマを訪れる人々を迎え「平和の尊さ」と「いのちの大切さ」を伝えてくれています。

この映画のモデルとなった沼田鈴子さんに私が初めてお会いしたのは、1986年のことでした。日本文化の紹介と共に「にんげんをかえせ」「ピカドン」等の原爆フィルムをアメリカの学校や施設等で上映する日米協力草の根ボランティアプロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペーン」第一期民間大使に参加したことがきっかけでした。一年間の事前学習を経て渡米したのは22才の時。アラスカ・オレゴン・オハイオ・ニューヨーク・オハイオ・ネバダ等で280回のプレゼンテーションを行わせていただきました。

渡米前、持参する「にんげんをかえせ」の中に登場されている被爆者の方々からお話を聞かせていただきました。その中のお一人が沼田鈴子さんでした。それまで、私にとってヒロシマ・ナガサキは教科書の中の過去の出来事でしかありませんでした。しかし、たくさんの被爆者の皆様から体験を聞かせていただく中で、今を生きる私たちが考えていかなければならない大切な問題である事に気づかされました。

 

「戦争や原爆の体験のない者に伝えられるのか?」という不安な気持ちと「伝えなければ」という気負いは、沼田さんをはじめ被爆者の皆様との出会いの中で、「伝えたい」という思いへと変わっていきました。

 

「世界中にたくさんの友達をつくってね!」
「憎しみではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってね!」
「二度とヒロシマ・ナガサキを繰り返さないで!」
「授かった命を大切に生きてください!」
二度と思い出したくない、本当は忘れてしまいたい辛く苦しい体験を語ってくださったヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々からいただいたメッセージは今も深く心に刻まれています。

 

アメリカでは、「ヒロシマ・ナガサキ」といえば「パールバーバー」がかえってくるとよく言われます。けれど、被爆者のメッセージを伝えた時、子供たちの反応は変わっていきました。

 

「今、被爆者の方々はどんな気持ちで生きてるの?」「被爆者は、僕たちのこと嫌い?」「この映画を世界中のリーダーに見せてください!」「ヒロシマ・ナガサキを二度と繰り返さないために、私たちが出来る事は何だろう?」今でも、あの時の生徒たちの瞳を忘れる事が出来ません。

 

帰国後、戦後50年のときに、8カ国の多国籍出演者が自分の家族の戦争体験と共にヒロシマ・ナガサキの被爆体験を語り継ぐ日本語朗読劇「トンボが消えた日」を企画・制作・プロデュースさせていただいた際にも、沼田さんの被爆体験を劇中に入れさせていただきました。多国籍出演者と共に広島を訪れ、大変お世話になりました。

その後、これまでお世話になった被爆者の方々が年々亡くなられていく中で、ヒロシマ・ナガサキを伝える中で生まれた歌やエピソード等による全国行脚ライブを2008年8月6日からスタートする中で、沼田さんの被爆体験の朗読をさせていただくことになりました。

沼田さんに全国ライブのご報告をするために広島に伺い、東京に戻ると、ふた葉を出した小さなアオギリの苗が届きました。そのかわいい苗を見ながら、思わず口ずさみ作ったのが「アオギリにたくして」という歌でした。しかし、この時は、その後に映画化することになるなど考えてもいませんでした。

 

2010年秋、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所のお庭で、被爆アオギリ2世の植樹と共に海外初のピースライブをさせていただきました。沼田鈴子さんが最初の一堀りをしてくださり、川島康史様がつくられた「微笑みの輪が広がっていきますように」と平和の祈りをこめてた像をお届けいたしました。今では、その被爆アオギリの苗は私の身長を超えて、すくすくと育っています。

 

 

弊社ミューズの里を共に支え、映画『アオギリにたくして』では音楽監督を務め、製作・プロデュースを共にしてくれたギタリストの伊藤茂利氏は、この歌と語りで伝える全国ライブ行脚を共に行ってきたミュージシャン仲間でもあります。

沼田さんの87才のお誕生日に、広島のフェニックスホールで沼田さんに捧げる曲「アオギリにたくして」と 「Mother」を歌わせていただくことになり、伊藤茂利氏と共に広島に伺いました。お誕生日の前日、たくさんの人の前で演奏する前に、一番最初に沼田さんのためだけに演奏を捧げたいという思いから、お部屋のベッドの横で映画の主題歌ともなった「アオギリにたくして」を演奏させていただきました。

 

 

自らの体験を通して、戦争の愚かさ、平和の尊さ、核の恐ろしさ、そして平和づくりの大切さを生涯伝え続けた沼田鈴子さんは、2011年3月11日に起きた東日本大震災の4ヶ月後の7月12日に永眠されました。亡くなる直前まで、被災地の方々や福島原発を案じ続けておられました。

「生きて、伝えなければ……」
と、力の入らない握りこぶしを膝の上に立てておっしゃった言葉が今も忘れられません。

「元気になったらアオギリの木の下で、子供たちと一緒に歌いましょう」。これが沼田鈴子さんと交わした最後の言葉となりました。

 

 

沼田鈴子さんの最後の言葉が忘れられず、
「何か私たちに出来る事はないか…」と考える日々が続きました。
ギタリストの伊藤茂利さんと共に、当初はドキュメンタリーとして撮影を開始していた我々の沼田鈴子さんへの思いを、劇映画として描いていこうと決意しました。

 

映画製作やその後の上映活動は、これまでの人生の中で体験した事のない大変な事の連続でもありました。しかし、この映画を作る原点となった30年以上前にアメリカの学校や教会で被爆者の方々のメッセージを伝え歩いた草の根ボランティア活動「ネバー・アゲイン・キャンペーン」でお世話になった皆様をはじめ、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブを応援してくださった皆様に応援いただき、伊藤茂利氏にご紹介いただいた撮影技師の倉本和人さん、照明技師の淡路俊之さん、中根克監督はじめ皆さまに大変お世話になり、まったく映画の世界を知らなかった我々が、映画界のベテランの皆様に支えていただきながら、皆様からのご支援・ご協力をいただいて映画を完成することができました。改めて皆さまに心より感謝申し上げます。

 

大変な撮影現場であったにもかかわらず、撮影監督の倉本和人さんが初号試写会の時に「自分の40年以上の映画人生を振り返っても、これほど素晴らしい現場はなかった」と涙ながらに語ってくださいました。至らない点もたくさんあったと思いますが、その時できる全てをかけて作った作品です。

 

 

「アオギリにたくして」は、2013年夏に完成し、東京・大阪・広島・大分等で劇場公開がスタートしました。今も、全国各地での自主上映・学校上映等が続いています。日本全国、そして世界に向けて上映活動をこれからも展開していきます。

 

「この映画を世界中の人たちに伝えてほしい!」「私にも何か出来る事はないでしょうか」等、全国からたくさんの応援メッセージをいただいています。

 

私たちは今一度、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の声にしっかりと耳を傾け、日本と世界、そして地球の未来を考えていく時を迎えています。

 

「世界中の誰にも二度と同じ苦しみをさせたくない」という被爆者の皆様の願いを、日本、そして世界の人々と共に叶えていく映画となることを願っています。この映画を観てくださった方々の心に、被爆アオギリにたくされた思いを届け、平和の種が蒔かれていきますように〜!

 

No more Hiroshimas! No more Nagasakis! No more Hibakusya! No more War!

映画「アオギリにたくして」
企画・製作・統括プロデューサー・主題歌 & 挿入歌:中村里美

 

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🔵企画・製作・著作:ミューズの里
🔵配給:ミューズの里/映画センター全国連絡会議

企画・製作・統括プロデューサー:中村里美 / 製作・プロデューサー・音楽監督:伊藤茂利 / 脚本・監督:中村柊斗 /チーフ助監督:中根克・上野山雅也/制作チーフ:中村里美・伊藤茂利/ 撮影監督・編集:倉本和人・曽根剛/ 撮影:佐久間栄一 / 照明技師:淡路俊之 / 録音技師:山口 勉 / 美術:中根加代估・与謝蕭風 /ヘアメイク:村松直美 / 題字・イラスト:吉田しん子 他

🔵主題歌&挿入歌
「アオギリにたくして」「ひな鳥へ」作詞・作曲・歌:中村里美

【出演】風見しんご 斉藤とも子 原日出子(特別出演)渡辺裕之(友情出演) 菅井玲 塩出純子 牛島摩弓 柏木祐太 はらまいこ 二橋進  甲斐将馬 大橋芳枝 朝霧靖子 金子達人 荒井尚子 原田康夫(元広島大学学長) 松井一實(広島市長)

 

🔵音楽製作:製作会社ミューズの里
<音楽監督> 伊藤茂利
主題歌・挿入歌:中村里美(作詞・作曲・歌)
ギター:伊藤茂利/ピアノ:坂井千浪/ベース:花輪春比古
ドラム:岩瀬立衛/二胡:寺嶋級江/バイオリン:GEN(Dor moll)
ピアノ: 杉田靖典/アルトサックス:小笠原末男

 

◎挿入曲 「命の音色」「Never Aagain」「愛が流れている」
~ 作 曲: 中村里美 ~

 

◎挿入曲 「優しさの瞬間」「MOTHER」「風のワルツ」「とどかぬ想い」
「No Rain, No Rainbow」「Twilight Cloud」「May Good me」 「Moon Dream」
~作 曲: 伊藤茂利 ~

 

≪制作協力≫ AOGIRIプロジェクト/momo企画/ハッピープラザ/Rei23/小笠原企画/e-Kenプロ

 

≪後 援≫ 広島県/広島市/長崎市/広島市教育委員会/東京広島県人会/広島県医師会/広島県看護協会/広島県歯科医師会/広島県薬剤師会/広島YMCA
≪支 援≫ 財団法人広島国際文化財団「ヒロシマピースグラント2012」
≪協 力≫広島フィルム・コミッション/株式会社ステージユニオン広島/広交タクシー株式会社/ANAクラウンプラザホテル広島/PAPERA/株式会社プロミックス/株式会社大前コーポレーション

 

◆撮影形態: ビデオデータ撮影 ヴィスタサイズ ステレオ

◎データー:ブルーレイ または、 DVD

◎時間:100分(日本語字幕・英語字幕もあります)