平和の種を人々の心に蒔き続けた実話に基づく感涙の物語
結婚式まであと3日、私の人生は一変した――
広島で被爆したアオギリの苗を全国各地で植樹し始めた田中節子。世界的に広がりつつあるこの活動に興味を惹かれ取材し始めたライターの片桐千草は、節子の妹から彼女の生前の日記を預かる。そこには原爆により足を失った女性の苦しみが克明に綴られてい…。
実在の被爆者・沼田鈴子さんをモデルに、アオギリと被爆した一人の女性(田中節子)の奇跡の物語を実話に基づき描いていく。絶望の淵に何度も立たされながら、やがて節子は平和の語り部として生きていく決意をする。節子がアオギリにたくして思いとは…。
壮絶な人生を歩んだ、過酷にして清澄な女性の軌跡。
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映画『アオギリにたくして』をつくるきっかけ
映画『アオギリにたくして』を企画し主題歌を歌う製作・プロデューサーの中村里美(シンガー・ソングライター)は、2008年より1000回ライブを目指してスタートしたヒロシマ・ナガサキを伝えるライブで広島を訪れた時、アオギリの語り部と呼ばれた被爆者の沼田鈴子さんと再会しました。

東京に戻ると、広島の沼田さんから小さな被爆アオギリ2世・3世の苗が「ミューズの里」オフィスに届きました。その小さな可愛い苗を見ながら口ずさんでつくった歌が「アオギリにたくして」でした。

広島フェニックスホールで開催されるイベントの中で、沼田さんの87才のお誕生日を祝う集いに、中村里美とギタリストの伊藤茂利が招待され、沼田さんに「アオギリにたくして」を捧げました。
中村里美と伊藤茂利は、日本全国「いのちの音色」ライブの中で、沼田鈴子さんの被爆体験を伝え、被爆アオギリ2世・3世の植樹を呼びかけてきました。
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2010年秋には、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所での海外初ライブが開催され、被爆アオギリ2世・3世と広島市長のメッセージを届けました。

帰国後二人が、広島の沼田さんのところにアメリカでの報告をしに訪れたのは、3.11東日本大震災の直後のことでした。少し前まで沼田さんは入院していましたが、「心配で寝ていられない。病院を早めに抜け出してきた」と言いながら、被災地や福島のこどもたちのことを心配していました。
映画『アオギリにたくして』の冒頭は、その時に沼田さんから聞いたお話をもとに描かれています。

3.11の4か月後、沼田鈴子さんは天に召されました。
沼田さんがご逝去された日、広島女学院大学でのライブで広島を訪れていた中村里美と伊藤茂利は、ワールド・フレンドシップ・センターの立花志瑞雄さんと美智子夫人のご配慮で、病院から葬儀場に運ばれた沼田鈴子さんのもとで時を過ごし、感謝を伝えました。

沼田さんが亡くなる1か月前、体が弱って力の入らない握り拳を膝の上に立てて、「生きて伝えなければ…」と語った言葉がいつまでも忘れられずにいた中村里美は、広島で被爆した一人の女性の人生をより深く描いて伝えるために、伊藤茂利と共に映画制作をスタートしました。

あの日、キノコ雲の下にいたひとりの女性が、その後、どんな思いで生きたのか。長い間、忘れようとしていた被爆体験をどんな想いで語り始め、語り部となったのかを描くことで、今を生きる私たち一人一人が受け取るべき大切なメッセージを伝えていきたいとの思いからでした。

二人は、2013年に劇場公開を果たし、ライブ活動を続けながら今も国内外で上映活動を続けています。
ひとつ一つの上映会が、希望と平和の種まきとなるよう願いながら、これからも日本全国・世界各国での上映活動は続いていきます。

「いのちの音色」ライブ活動と共に、私たちは映画『アオギリにたくして』の上映活動を生涯かけて続けてまいります。皆様のご支援・ご協力をこれからも何卒よろしくお願い申し上げます。


