ストーリー・映画づくりのきっかけ

ヒロシマからの愛の伝言
平和の種を人々の心に蒔き続けた実話に基づく感涙の物語

結婚式まであと3日、私の人生は一変した――

広島で被爆したアオギリの苗を全国各地で植樹し始めた田中節子。世界的に広がりつつあるこの活動に興味を惹かれ取材し始めたライターの片桐千草は、節子の妹から彼女の生前の日記を預かる。そこには原爆により足を失った女性の苦しみが克明に綴られてい…。

実在の被爆者・沼田鈴子さんをモデルに、アオギリと被爆した一人の女性(田中節子)の奇跡の物語を実話に基づき描いていく。絶望の淵に何度も立たされながら、やがて節子は平和の語り部として生きていく決意をする。節子がアオギリにたくして思いとは…。

壮絶な人生を歩んだ、過酷にして清澄な女性の軌跡。

✨   ✨   ✨

製作者:中村里美(企画・製作・プロデューサー・主題歌 & 挿入歌)
製作者:伊藤茂利(製作・プロデューサー・音楽監督)
脚本・監督:中村柊斗 チーフ助監督:中根 克・上野山雅也
撮影監督・編集:倉本和人・曽根剛
音楽監督:伊藤茂利
主題歌「アオギリにたくして」作詞・作曲・歌:中村里美
挿入歌:「ひな鳥へ」作詞・作曲・歌:中村里美
協力:映画「アオギリにたくして」制作委員会

制作協力:「アオギリにたくして制作委員会」
【顧問】原田康夫(元広島大学学長)【代 表】中村里美(ミューズの里 代表取締役・企画・製作・統括プロデューサー・主題歌&挿入歌)/【副代表】伊藤茂利(ミューズの里 専務取締役・音楽監督・製作・プロデューサー)/伊藤直子(元被爆者中央相談所理事)/大久保賢一(弁護士・日本反核法律家協会会長)/山田玲子(豊島区被爆者の会会長/東友会副会長)/大川須美(元CANメンバー)/岩城康一(東邦ホールディングス(株))/鎌田信行(アートギャラリー代表)/田中正栄((株)開陽代表取締役)/渡川修一(映画カルフのように)/石塚佐和子(保育士/介護福祉士)

※映画『アオギリにたくして』の製作会社ミューズの里は、この度の映画製作において「製作委員会方式」はとっておりません。弊社の「制作委員会」は、映画『アオギリにたくして』がミューズの里にとって初の映画製作であったことから、企画・製作・プロデューサーである中村里美・伊藤茂利が信頼を寄せる知人・友人に名前を連ねていただき、作品に託した想いを叶えるために二人を応援してくださった方々です。また制作委員会は、2013年7月の映画完成と共に、その役割を終えています。映画制作にあたり、「アオギリにたくして制作委員会」の皆様にお力添えいただき、大変ありがとうございました。改めて心より感謝申し上げます。

≪後 援≫ 広島県/広島市/長崎市/広島市教育委員会/東京広島県人会/広島県医師会/広島県看護協会/広島県歯科医師会/広島県薬剤師会/広島YMCA
≪支 援≫ 財団法人広島国際文化財団「ヒロシマピースグラント2012」
≪協 力≫ 広島フィルム・コミッション/株式会社ステージユニオン広島/ANAクラウンプラザホテル広島/広交タクシー株式会社/PAPERA/株式会社プロミックス/株式会社大前コーポレーション

企画・製作・著作・配給:株式会社ミューズの里
配給協力:一般社団法人全国映画センター
撮影形態: ビデオデータ撮影(ヴィスタサイズ ステレオ)
データー:ブルーレイ または、DVD
時間:100分(日本語字幕・英語字幕もあります)

第一回JASRAC音楽文化賞受賞
受賞理由:『アオギリにたくして』は、主題歌や挿入歌など、音楽が被爆者の方の想いを効果的に伝える役割を果たしている。平和の尊さや命の大切さを訴えかけていく取り組みとして、原爆投下から70年になろうとしている今、顕彰する(日本音楽著作権協会)

✨   ✨   ✨

映画『アオギリにたくして』をつくるきっかけ

映画『アオギリにたくして』を企画・製作し、主題歌・挿入歌を歌う中村里美(シンガー・ソングライター)は、2008年より1000回ライブを目指してスタートしたヒロシマ・ナガサキを伝えるライブで広島を訪れた時、アオギリの語り部と呼ばれた被爆者の沼田鈴子さんと再会しました。

 

 

東京に戻ると、広島の沼田さんから小さな被爆アオギリ2世・3世の苗が「ミューズの里」オフィスに届きました。その小さな可愛い苗を見ながら口ずさんでつくった歌が「アオギリにたくして」でした。

 

 

広島フェニックスホールで開催されるイベントの中で、沼田さんの87才のお誕生日を祝う集いに、中村里美とギタリストの伊藤茂利が招待され、沼田さんに歌「アオギリにたくして」を捧げました。

二人は、日本全国での「いのちの音色」ライブの中で、沼田鈴子さんの被爆体験を伝え、被爆アオギリ2世・3世の植樹を呼びかけてきました。

 

 

2010年秋には、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所での海外初ライブが開催され、被爆アオギリ2世・3世と広島市長のメッセージを届けました。

 

 

帰国後二人が、広島の沼田さんのところにアメリカでの報告をしに訪れたのは、3.11東日本大震災の直後のことでした。少し前まで沼田さんは入院していましたが、「心配で寝ていられない。病院を早めに抜け出してきた」と言いながら、被災地や福島のこどもたちのことを心配していました。

映画『アオギリにたくして』の冒頭は、その時に沼田さんから聞いたお話をもとに描かれています。

 

 

3.11の4か月後、沼田鈴子さんは天に召されました。

沼田さんがご逝去された日、広島女学院大学でのライブで広島を訪れていた中村里美と伊藤茂利は、ワールド・フレンドシップ・センターの立花志瑞雄さんと美智子夫人のご配慮で、病院から葬儀場に運ばれた沼田鈴子さんのもとで時を過ごし、感謝を伝えました。

 

沼田さんが亡くなる1か月前、体が弱って力の入らない握り拳を膝の上に立てて、「生きて伝えなければ…」と語った言葉がいつまでも忘れられずにいた中村里美は、広島で被爆した一人の女性の人生をより深く描いて伝えるために、伊藤茂利と共に映画制作をスタートしました。

 

 

あの日、キノコ雲の下にいたひとりの女性が、その後、どんな思いで生きたのか。長い間、忘れようとしていた被爆体験をどんな想いで語り始め、語り部となったのかを描くことで、今を生きる私たち一人一人が受け取るべき大切なメッセージを伝えていきたいとの思いからでした。

 

 

二人は、2013年に劇場公開を果たし、ライブ活動を続けながら今も国内外で上映活動を続けています。

ひとつ一つの上映会が、希望と平和の種まきとなるよう願いながら、これからも日本全国・世界各国での上映活動は続いていきます。

 

 

皆様のご支援・ご協力をこれからも何卒よろしくお願い申し上げます。