映画「アオギリにたくして」制作日誌

来年の公開を目指し、初プロデュースとなる映画「アオギリにたくして」の制作に向けて4月よりスタートします。映画「アオギリにたくして」は、アオギリの語り部と呼ばれ、広島平和公園の被爆アオギリの木の下でたくさんの子供たちに被爆体験を語り感銘を与えてきた被爆者・故沼田鈴子さんをモデルに、被爆者の数奇な人生を描いた作品です。

映画のプロデュースは初めてですが、この映画は、私がこれまで人生を生きてきた中で、どうしても映画化したかった作品です。

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▲87才の沼田鈴子さんのお誕生日に、広島フェニックスホールにて

映画「アオギリにたくして」のモデルとなる沼田鈴子さんと私が初めてお会いしたのは、今から27年前のことでした。アメリカの家庭にホームステイしながら、学校や施設で原爆映画上映と日本文化紹介を行う日米協力プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の第一期民間大使として渡米することになった21才の時のことです。渡米前に持参する原爆フィルム「にんげんをかえせ」の中に登場されている沼田鈴子さんにお話をうかがいました。沼田さんとの出会い、そしてアメリカでヒロシマ・ナガサキを伝えた体験は、振り返ると私の人生の原点ともなっています。

帰国後、戦後50年の時に、8カ国の多国籍出演者が、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験を語り継ぐ日本語朗読劇「トンボが消えた日」のプロデュースをさせていただいた際にも、多国籍出演者と共に広島を訪れ、沼田さんに大変お世話になりました。今回の映画の脚本を手掛ける劇作家で小説家としても活躍中の中村柊斗は、その時に演出と台本の構成を手掛けてくれた人物でもあります。

また、音楽を担当するギタリストの伊藤茂利は、2009年より1000回ライブを目指してスタートした歌と語りで伝える「私のヒロシマ・ナガサキ」の音楽プロデューサーでもあります。2010年秋に米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所の庭で被爆アオギリ2世の植樹とライブを共に行いました。沼田さんが一彫りめを入れられたという川島康史氏作による木彫りの平和の像を同研究所に贈呈させていただきました。ピースライブの公演の中で、沼田鈴子さんの体験の朗読をさせていただく上で、ご挨拶に伺った際、枕元で「アオギリにたくして」を演奏したことが、伊藤氏にとっての沼田さんとの最初の出会でした。映画の挿入歌「アオギリにたくして」「MOTHER」は沼田鈴子さんの87歳のお誕生日のお祝いに、広島のフェニックスホールで沼田さんに捧げた曲でもあります。

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映画「アオギリにたくして」は、自らの体験を通して、戦争の愚かさ、平和の尊さ、核の恐ろしさ、そして平和づくりの大切さを生涯伝え続けた広島の被爆者、故沼田鈴子さんをモデルにつくられた作品です。

沼田鈴子さんは、昨年(2011年)東日本大震災が起きて4ヶ月後の7月12日に永眠されました。亡くなる直前まで、福島原発を案じ続けていました。原爆と原発の違いはあっても、放射能の恐ろしさは同じです。私たちは今一度、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の声にしっかりと耳を傾け、日本と世界、そして地球の未来を考えていく時を迎えています。

「世界中の誰にも自分と同じ苦しい思いをさせたくない」と願っていた故沼田鈴子さんの思いを、日本、そして世界の人々と共に叶えていく映画となることを願っています。是非ともご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

映画 「アオギリにたくして」 プロデューサー: 中村里美