AOGIRIプロジェクトについて

2008年8月6日、国際社会の平和づくりに貢献できる事業を目指して設立されたミューズの里では、「世界中の誰にも二度と同じ苦しみをさせたくない」と願う、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージを次世代に伝え、国籍・文化・世代など様々な違いを超えて、異文化間の相互理解を深め、平和の種まきを行うAOGIRIプロジェクトを事業の柱にしています。

2009年11月、ミューズの里から発売されたCD「アオギリにたくして」は、広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下で被爆体験を語り続けた沼田鈴子さんに捧げた歌でした。

2010年4月よりスタートしたチャリティーライブ「アオギリにたくして」(主催:ミューズの里)では、被爆アオギリ2世・3世の種や苗の植樹活動をしていた故沼田鈴子さんへの活動支援を呼びかけ、たくさんのミュージジャンの皆様にご出演いただきました。

生前、沼田鈴子さんに応援いただいた中村里美&伊藤茂利による歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」日本全国ライブ行脚の中で、アオギリに託された思いを伝え、被爆アオギリ2世・3世の植樹を呼びかけてきました。2010年秋には、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所に被爆アオギリ2世が植樹され、広島市長のメッセージを届け、海外初の「いのちの音色」ライブが開催されました。

同年2010年、ミューズの里では、沼田鈴子さんがアオギリに託した平和への思いを取材し、ドキュメンタリー映画の製作をスタート致しました。しかし、その翌年2011年7月12日、沼田さんは永眠されました。東日本大震災3・11から4ヶ月後のことでした。沼田さんは最後まで、被災地の方々や福島の子供たちを案じていました。亡くなる一ヶ月前にお会いした時、体が弱って力の入らない握りこぶしを膝の上に立てて、「死ぬのは簡単だけど、生きて伝えなければ‥‥」と言った沼田鈴子さんの言葉が忘れられません。「元気になったら、アオギリの下で子供たちと一緒に歌いましょう」これが、沼田さんと交わした最後の言葉となりました。

製作中だったドキュメンタリー映画は、沼田さんが亡くなった後、劇映画として新たに企画を立て直し、2012年より製作がスタートしました。皆様にお力添えいただきながら「AOGIRIプロジェクト」の中から生まれた映画『アオギリにたくして』は、2013年夏に完成し、第一回JASRAC音楽文化賞を受賞。日本全国上映がロングランで続いています。2016年には、アメリカでの自主上映&ライブが6箇所で行われ、日本全国上映と共に、世界各国での映画上映や文化交流、そして被爆アオギリ2世・3世の植樹を呼びかけています。

AOGIRIプロジェクト事業の活動内容

◆ヒロシマ・ナガサキを次世代に伝える活動
ヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝える映画・出版・雑誌・ライブ・イベントづくりを通して被爆者のメッセージを世界に伝えていきます。

◆世界の人々との交流・表現の場づくり
国籍や世代を超えて、誰もが参加できる表現や交流の場づくりを皆様と共に行っていきます。異文化間の相互理解を深め、プロセスに心を通わせながら、たとえ微力であっても、自分たちにできる平和づくりへの一歩を踏み出し、国際社会の平和づくりに貢献できるプロジェクトづくりをしていきます。

◆歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブ
これまでお世話になったヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを歌と語りで伝える中村里美&伊藤茂利「いのちの音色」ライブは、現在1000回ライブを目指して、国内外でのライブ行脚活動を展開中です。「いのちの大切さ」「平和の尊さ」への思いをアオギリに託して、被爆アオギリ2世・3世の植樹を呼びかけています。

◆被爆アオギリ2世・3世の植樹の呼びかけ
「いのちの大切さ」「平和の尊さ」をアオギリにたくして、被爆アオギリ2世・3世の植樹活動を呼びかけ、アオギリにたくされた思いを世界に届けていきます。世界各国での上映会や文化交流を通して平和の種を世界に蒔いていきます。

〜被爆アオギリについて〜
1945年8月6日、爆心地から北東へ約1.3キロの地点でアオギリは被爆し、爆心地側の幹半分が熱線と爆風で焼けてえぐられてしまいました。しかし、その後、樹皮が傷跡を包むようにして成長を続け、焦土の中で芽を吹き、75年は草木も生えないと言われた広島で、多くの人々に生きる勇気と希望を与えてきました。被爆アオギリは、1973年に広島の平和記念公園に移植されました。広島市や被爆アオギリに平和への思いを託している人々が、この被爆アオギリの種を発芽させ「被爆アオギリ二世・三世」を育て、「平和を愛し、命あるものを大切にする心」を伝えています