AOGIRIプロジェクトについて

ミューズの里「AOGIRIプロジェクト」について

2008年8月6日、国際社会の平和づくりに貢献できる事業を目指して設立されたミューズの里では、「AOGIRIプロジェクト」を柱とし、「いのちの大切さ」「平和の尊さ」をアオギリにたくして「世界中の誰にも二度と同じ苦しみをさせたくない」と願う、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージを次世代に伝え、国籍・文化・世代など様々な違いを超えて、異文化間の相互理解を深め、平和の種を世界に蒔いていくプロジェクトを推進してまいりました。

「AOGIRIプロジェクト」支援に向けて、2010年4月よりスタートしたチャリティーライブ「アオギリにたくして」では、広島平和記念公園の被爆アオギリの樹の種から育った2世・3世の種や苗の植樹活動をしていた被爆者の沼田鈴子さんの活動支援を呼びかけてきました。沼田さんが応援してくださった歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える中村里美&伊藤茂利「いのちの音色」日本全国ピースライブ行脚の中で、被爆アオギリ2世・3世の植樹を呼びかけ、被爆者のメッセージを伝えて、2010年秋には、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所に被爆アオギリ2世が植樹され、海外初のピースライブが開催されました。

2010年より、沼田さんがアオギリにたくした平和への思いを取材しはじめ、ドキュメンタリー映画の製作をスタートした数ヶ月後の2011年7月12日、沼田鈴子さんは永眠されました。東日本大震災から4ヶ月後のことでした。被災地の方々や福島の子供たちを案じながら、亡くなる一ヶ月前にお会いした時、「死ぬのは簡単だけど、生きて伝えなければ‥‥。元気になったら、アオギリの下でまた会いましょう」とおっしゃっていた言葉が、我々が最後に沼田さんと交わした言葉となりました。。

製作中だったドキュメンタリー映画は、沼田さんが亡くなった後、劇映画として新たに企画を立て直し、2012年より映画製作をスタートしました。「AOGIRIプロジェクト」の中から生まれた映画「アオギリにたくして」は、2013年夏に完成し、第一回JASRAC音楽文化賞を受賞。日本全国上映がロングランで続いています。2016年には、アメリカでの上映&ライブもスタートし、世界各国での映画上映と文化交流、そして被爆アオギリ2世・3世の植樹を呼びかけています。

Seeds of Peace!「AOGIRIプロジェクト」は、これからも皆様と共に平和の種を世界に蒔く様々なプロジェクトを展開してまいります。ご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。

◎ヒロシマ・ナガサキを次世代に伝える活動
ヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝える映画・出版・雑誌・イベントづくりを通して被爆者のメッセージを世界に伝えていきます。

◎世界の人々との交流・表現の場づくり
国籍や世代を超えて、誰もが参加できる表現や交流の場づくりを皆様と共に行っていきます。異文化間の相互理解を深め、プロセスに心を通わせながら、たとえ微力であっても、自分たちにできる平和づくりへの一歩を踏み出し、国際社会の平和づくりに貢献できるプロジェクトづくりをしていきます。

◎歌と語りで伝える「いのちの音色」
これまでお世話になったヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを歌と語りで伝える「いのちの音色」ライブは、現在1000回ライブを目指して、国内外でのライブ行脚活動を展開中!「いのちの大切さ」「平和の尊さ」への思いをアオギリにたくして、被爆アオギリ2世・3世の植樹を呼びかけています。

◎被爆アオギリ2世・3世の植樹の呼びかけ
「いのちの大切さ」「平和の尊さ」をアオギリにたくして、被爆アオギリ2世・3世の植樹活動を呼びかけ、アオギリにたくされた思いを世界に届けていきます。世界各国での上映会や文化交流を通して平和の種を世界に蒔いていきます。

〜被爆アオギリについて〜
1945年8月6日、爆心地から北東へ約1.3キロの地点でアオギリは被爆し、爆心地側の幹半分が熱線と爆風で焼けてえぐられてしまいました。しかし、その後、樹皮が傷跡を包むようにして成長を続け、焦土の中で芽を吹き、75年は草木も生えないと言われた広島で、多くの人々に生きる勇気と希望を与えてきました。被爆アオギリは、1973年に広島の平和記念公園に移植されました。広島市や被爆アオギリに平和への思いを託している人々が、この被爆アオギリの種を発芽させ「被爆アオギリ二世・三世」を育て、「平和を愛し、命あるものを大切にする心」を伝えています。

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