製作経緯

映画『アオギリにたくして』は、アオギリの語り部と呼ばれ、広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下で修学旅行生や世界の人々に被爆体験を語り続けた故沼田鈴子さんの前半生をモデルに製作された映画です。

広島平和記念公園にある被爆アオギリは、爆心地から1.3kmにあった元広島逓信局の中庭で被爆しました。熱線と爆風を受けた爆心地側の幹半分は、焼けてえぐられていましたが、樹皮が傷口を包むように成長し、芽を吹きました。アオギリの小さな芽は、70年は草木も生えないと言われた広島で、たくさんの人々を勇気づけたといいます。1973年に広島平和公記念公園に移植された被爆アオギリは、今も元気にヒロシマを訪れる人々を迎え「平和の尊さ」と「いのちの大切さ」を伝えてくれています。

この映画のモデルとなった沼田鈴子さんに私が初めてお会いしたのは、1986年のことでした。日本文化の紹介と共に「にんげんをかえせ」「ピカドン」等の原爆フィルムをアメリカの学校や施設等で上映する日米協力草の根ボランティアプロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペーン」第一期民間大使に参加したことがきっかけでした。一年間の事前学習を経て渡米したのは22才の時。アラスカ・オレゴン・オハイオ・ニューヨーク・オハイオ・ネバダ等で280回のプレゼンテーションを行わせていただきました。

渡米前、持参する「にんげんをかえせ」の中に登場されている被爆者の方々からお話を聞かせていただきました。その中のお一人が沼田鈴子さんでした。それまで、私にとってヒロシマ・ナガサキは教科書の中の過去の出来事でしかありませんでした。しかし、たくさんの被爆者の皆様から体験を聞かせていただく中で、今を生きる私たちが考えていかなければならない大切な問題である事に気づかされました。

 

「戦争や原爆の体験のない者に伝えられるのか?」という不安な気持ちと「伝えなければ」という気負いは、沼田さんをはじめ被爆者の皆様との出会いの中で、「伝えたい」という思いへと変わっていきました。

 

「世界中にたくさんの友達をつくってね!」
「憎しみではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってね!」
「二度とヒロシマ・ナガサキを繰り返さないで!」
「授かった命を大切に生きてください!」
二度と思い出したくない、本当は忘れてしまいたい辛く苦しい体験を語ってくださったヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々からいただいたメッセージは今も深く心に刻まれています。

 

アメリカでは、「ヒロシマ・ナガサキ」といえば「パールバーバー」がかえってくるとよく言われます。けれど、被爆者のメッセージを伝えた時、子供たちの反応は変わっていきました。

 

「今、被爆者の方々はどんな気持ちで生きてるの?」「被爆者は、僕たちのこと嫌い?」「この映画を世界中のリーダーに見せてください!」「ヒロシマ・ナガサキを二度と繰り返さないために、私たちが出来る事は何だろう?」今でも、あの時の生徒たちの瞳を忘れる事が出来ません。

 

帰国後、戦後50年のときに、8カ国の多国籍出演者が自分の家族の戦争体験と共にヒロシマ・ナガサキの被爆体験を語り継ぐ日本語朗読劇「トンボが消えた日」を企画・制作・プロデュースさせていただいた際にも、沼田さんの被爆体験を劇中に入れさせていただきました。多国籍出演者と共に広島を訪れ、大変お世話になりました。

その後、これまでお世話になった被爆者の方々が年々亡くなられていく中で、ヒロシマ・ナガサキを伝える中で生まれた歌やエピソード等による全国行脚ライブを2008年8月6日からスタートする中で、沼田さんの被爆体験の朗読をさせていただくことになりました。

沼田さんに全国ライブのご報告をするために広島に伺い、東京に戻ると、ふた葉を出した小さなアオギリの苗が届きました。そのかわいい苗を見ながら、思わず口ずさみ作ったのが「アオギリにたくして」という歌でした。しかし、この時は、その後に映画化することになるなど考えてもいませんでした。

 

2010年秋、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所のお庭で、被爆アオギリ2世の植樹と共に海外初のピースライブをさせていただきました。沼田鈴子さんが最初の一堀りをしてくださり、川島康史様がつくられた「微笑みの輪が広がっていきますように」と平和の祈りをこめてた像をお届けいたしました。今では、その被爆アオギリの苗は私の身長を超えて、すくすくと育っています。

 

 

弊社ミューズの里を共に支え、映画『アオギリにたくして』では音楽監督を務め、製作・プロデュースを共にしてくれたギタリストの伊藤茂利氏は、この歌と語りで伝える全国ライブ行脚を共に行ってきたミュージシャン仲間でもあります。

沼田さんの87才のお誕生日に、広島のフェニックスホールで沼田さんに捧げる曲「アオギリにたくして」と 「Mother」を歌わせていただくことになり、伊藤茂利氏と共に広島に伺いました。お誕生日の前日、たくさんの人の前で演奏する前に、一番最初に沼田さんのためだけに演奏を捧げたいという思いから、お部屋のベッドの横で映画の主題歌ともなった「アオギリにたくして」を演奏させていただきました。

 

 

自らの体験を通して、戦争の愚かさ、平和の尊さ、核の恐ろしさ、そして平和づくりの大切さを生涯伝え続けた沼田鈴子さんは、2011年3月11日に起きた東日本大震災の4ヶ月後の7月12日に永眠されました。亡くなる直前まで、被災地の方々や福島原発を案じ続けておられました。

「生きて、伝えなければ……」
と、力の入らない握りこぶしを膝の上に立てておっしゃった言葉が今も忘れられません。

「元気になったらアオギリの木の下で、子供たちと一緒に歌いましょう」。これが沼田鈴子さんと交わした最後の言葉となりました。

 

 

沼田鈴子さんの最後の言葉が忘れられず、
「何か私たちに出来る事はないか…」と考える日々が続きました。
ギタリストの伊藤茂利さんと共に、当初はドキュメンタリーとして撮影を開始していた我々の沼田鈴子さんへの思いを、劇映画として描いていこうと決意しました。

 

映画製作やその後の上映活動は、これまでの人生の中で体験した事のない大変な事の連続でもありました。しかし、この映画を作る原点となった30年以上前にアメリカの学校や教会で被爆者の方々のメッセージを伝え歩いた草の根ボランティア活動「ネバー・アゲイン・キャンペーン」でお世話になった皆様をはじめ、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブを応援してくださった皆様に応援いただき、伊藤茂利氏にご紹介いただいた撮影技師の倉本和人さん、照明技師の淡路俊之さん、中根克監督はじめ皆さまに大変お世話になり、まったく映画の世界を知らなかった我々が、映画界のベテランの皆様に支えていただきながら、皆様からのご支援・ご協力をいただいて映画を完成することができました。改めて皆さまに心より感謝申し上げます。

 

大変な撮影現場であったにもかかわらず、撮影監督の倉本和人さんが初号試写会の時に「自分の40年以上の映画人生を振り返っても、これほど素晴らしい現場はなかった」と涙ながらに語ってくださいました。至らない点もたくさんあったと思いますが、その時できる全てをかけて作った作品です。

 

 

「アオギリにたくして」は、2013年夏に完成し、東京・大阪・広島・大分等で劇場公開がスタートしました。今も、全国各地での自主上映・学校上映等が続いています。日本全国、そして世界に向けて上映活動をこれからも展開していきます。

 

「この映画を世界中の人たちに伝えてほしい!」「私にも何か出来る事はないでしょうか」等、全国からたくさんの応援メッセージをいただいています。

 

私たちは今一度、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の声にしっかりと耳を傾け、日本と世界、そして地球の未来を考えていく時を迎えています。

 

「世界中の誰にも二度と同じ苦しみをさせたくない」という被爆者の皆様の願いを、日本、そして世界の人々と共に叶えていく映画となることを願っています。この映画を観てくださった方々の心に、被爆アオギリにたくされた思いを届け、平和の種が蒔かれていきますように〜!
No more Hiroshimas! No more Nagasakis! No more Hibakusya! No more War!

映画「アオギリにたくして」
企画・製作・主題歌・統括プロデューサー・主題歌 & 挿入歌:中村里美

 

⬇️ JASRAC(日本音楽著作権協会)公式HP(中村里美・伊藤茂利インタビュー)
https://www.jasrac.or.jp/profile/culture_award/interview/aogirinitakushite_seisakuiinkai.html

 

<朝日新聞・人欄:中村里美>

 

 

※映画『アオギリにたくして』はDVDの発売を一切しておりません(著作権について)。上映活動の一つ一つが平和の種蒔きとなることを願って、上映活動に力を注いでおります。皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。

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企画・製作・統括プロデューサー・主題歌:中村里美
製作・プロデューサー:伊藤茂利
脚本・監督:中村柊斗 チーフ助監督:中根 克・上野山雅也
撮影監督・編集:倉本和人・曽根剛

音楽監督:伊藤茂利
主題歌「アオギリにたくして」&挿入歌:中村里美(作詞・作曲・歌)
挿入曲:伊藤茂利・中村里美

制作チーフ:中村里美・伊藤茂利
撮影:佐久間栄一 他
照明技師:淡路俊之 他
録音技師:山口 勉
美術:中根加代估・与謝蕭風
ヘアメイク:村松直美
レコーディングエンジニア:岡部晃久
MA:山下裕康
題字・イラスト:吉田しん子  他

製作会社:©ミューズの里
配給:ミューズの里/映画センター全国連絡会議

 

制作協力「アオギリにたくして制作委員会」
【顧問】原田康夫(元広島大学学長)【代 表】中村里美(ミューズの里 代表取締役・企画・製作・統括プロデューサー)/【副代表】伊藤茂利(ミューズの里 専務取締役・音楽監督・製作・プロデューサー)/伊藤直子(元被爆者中央相談所理事)/大久保賢一(弁護士・日本反核法律家協会事務局長)/山田玲子(豊島区被爆者の会会長/東友会副会長)/大川須美(元CANメンバー)/岩城康一(東邦ホールディングス(株))/鎌田信行(アートギャラリー代表)/田中正栄((株)開陽代表取締役)/渡川修一(映画カルフのように)/石塚佐和子(保育士/介護福祉士)

※映画『アオギリにたくして』の製作会社であるミューズの里では、この度の映画製作において、「製作委員会方式」はとっておりません。弊社の「制作委員会」は、映画『アオギリにたくして』がミューズの里にとって初の映画製作であったことから、監督や撮影スタッフに外注する上で、プロデューサーである中村里美・伊藤茂利が信頼を寄せる知人・友人に名前を連ねていただき、我々が作品に託した思いを叶えるためにお力添えいただいた方々であり、その際、一切の製作や金銭に関わる責任は負わないことが前提となっています。また、2013年7月の映画完成と共に、その役割を終えています。映画制作にあたり、制作委員会の皆様にお力添えいただいたことに改めて心より感謝申し上げます。

 

★第一回JASRAC音楽文化賞受賞★

受賞理由:『アオギリにたくして』は、主題歌や挿入歌など、音楽が被爆者の方の想いを効果的に伝える役割を果たしている。平和の尊さや命の大切さを訴えかけていく取り組みとして、原爆投下から70年になろうとしている今、顕彰する(JASRAC)

 

音楽製作:©製作会社ミューズの里

音楽監督:伊藤茂利

◼︎主題歌:「アオギリにたくして」作詞・作曲・歌:中村里美
◼︎挿入歌:「ひな鳥へ」作詞・作曲・歌:中村里美

ギター:伊藤茂利/ピアノ:坂井千浪
ベース:花輪春比古/ドラム:岩瀬立衛
二胡:寺嶋級江/バイオリン:GEN(Dor moll)/ピアノ: 杉田靖典
アルトサックス:小笠原末男

挿入曲(作曲):伊藤茂利

「優しさの瞬間」「MOTHER」「風のワルツ」「とどかぬ想い」
「No Rain, No Rainbow」「Twilight Cloud」
「May Good me」「Moon Dream」

挿入曲(作曲):中村里美

「命の音色」「Never Aagain」「愛が流れている」

 

【参考文献】
青桐の木の下で (広岩近広著/明石書店)

 

≪後 援≫ 広島県/広島市/長崎市/広島市教育委員会/東京広島県人会/広島県医師会/広島県看護協会/広島県歯科医師会/広島県薬剤師会/広島YMCA
≪支 援≫ 財団法人広島国際文化財団「ヒロシマピースグラント2012」
≪協 力≫ 広島フィルム・コミッション/株式会社ステージユニオン広島/ANAクラウンプラザホテル広島/広交タクシー株式会社/PAPERA/株式会社プロミックス/株式会社大前コーポレーション

 

◼︎企画・制作・著作:©ミューズの里
⇒ E-mail:info@musevoice.com
⇒ E-mail:crosscultureplaza@yahoo.co.jp

◼︎配給:ミューズの里/映画センター全国連絡会議
◼︎撮影形態: ビデオデータ撮影 ヴィスタサイズ ステレオ
◼︎データー:ブルーレイ または、 DVD
◼︎時間: 100分(日本語字幕・英語字幕もあります)/120分
◼︎企画・製作・著作:ミューズの里
◼︎配給:ミューズの里/映画センター全国連絡会議

※映画『アオギリにたくして』はDVDの発売、配布を一切しておりません(著作権について)。上映活動の一つ一つが平和の種蒔きとなることを願って、上映活動に力を注いでおります。皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。

※ ディスクを無断で複製・放送・上映・公開・レンタルすることは法律で禁止されています。著作権違法行為が行われている場合は、ミューズの里までお知らせください。

 

【企画・製作・統括プロデューサー】 中 村 里 美

◎シンガーソングライター(東京・大田区出身)
1986年、民間外交プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペーン」民間大使の第一期生として渡米。原爆映画「にんげんをかえせ」「ピカドン」等の原爆フィルム上映をアメリカの学校や施設等で行い、被爆者のメッセージを伝える。広島のRCCによって2年間に渡り撮影されたドキュメンタリー番組「ヒロシマってなぁに?」は、その年のTBS系列ドキュメンタリー優秀賞受賞。

帰国後、体験記の出版や講演活動を行いながら、27歳で外国人向け雑誌「ひらがなタイムズ」編集長に就任。同誌の企画営業&流通チーフも兼任しながら、異文化間理解をテーマに様々な国際交流イベントの企画運営を行う。当初、4頁の無料配布からスタートした雑誌はその後、全国流通を通り、世界80カ国以上に読者を広げ、これまでにないユニークな国際誌として話題を呼び、NTTタウン誌大賞受賞。

1995年夏、8カ国の出演者の祖国の戦争体験と共に、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験を伝える多国籍出演者による日本語朗読劇「トンボが消えた日」を企画プロデュース。CNNなど海外メディアでも放映され、戦後50年特集テレビ朝日2時間特番となる。その後も公演を続け、NHKで放映された「世界へヒロシマを語り継ぎたい~8カ国の若者たちの朗読劇~」は、世界200カ国以上に翻訳され放映。

2008年8月6日、株式会社ミューズの里を設立。「いのち」「異文化の相互理解」をテーマに、国籍・世代・ジャンルを超え、映画・音楽・本づくり等を通して人々の心が豊かになる媒体を創造し、国際社会の平和の実現に貢献する事業を目指している。

2009年より、これまでお世話になった広島・長崎の被爆者の方々の体験の朗読と、世界に被爆者のメッセージを伝える体験の中から生まれた歌やエピソードにより構成された〜歌と語りで伝えるヒロシマ・ナガサキ〜「いのちの音色」全国公演をスタート。2010年秋には、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所で海外初のピースライブを行い被爆アオギリ2世の植樹を行う。

2013年夏に完成した、初プロデュース映画「アオギリにたくして」は、広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下で修学旅行生たちに被爆体験を語り継いだ故・沼田鈴子さんをモデルとした作品。現在、日本全国での自主上映が続いている。上映回数は400箇所700回(2016年現在)を越え、2016年6月には初の海外試写上映会を米国6箇所で行う。

主題歌&挿入歌の作詞・作曲・歌も手がけた映画「アオギリにたくして」は第一回JASRAC音楽文化賞受賞。第2作目となるドキュメンタリー映画「かけはし」は2017年2月より劇場公開。企画・製作・統括プロデューサーをつとめ、主題歌「かけはし」の作詞・作曲・歌を担当。現在、3作目となるドキュメンタリー「いのちの音色」製作中。

※著書に、「アメリカにだって伝えちゃえ」(汐文者)/日英対訳・絵本「おりづるにのって」~サダコと子どもたちの物語~(発行:ミューズの里/発売:ほんの木)//CDアルバム「アオギリにたくして」/CDアルバム「いのちの音色」etc.

◎歌と語りで伝える「いのちの音色」⇒ https://musevoice.com/peacelive/

 

 

【 製作・プロデューサー・音楽監督】=伊 藤 茂 利

◎ギタリスト(東京都・品川区出身)

高校時代に、来日中のジャズピアニストのマル・ウォルドロン氏に電話越しにギターを聞いてもったことがきっかけとなり、本格的にギタリストへの道を歩み始める。1980年代後半に、キングレコードから『マグネチックストーム井上博&RASA』でアルバムデビュー。ジャズスクール『メーザーハウス』の講師を勤めながらライブ活動。2006年1月、オリジナルインストバンド『Natural Vibration』を結成。現在、株式会社ミューズの里専務取締役。「表現の場づくり」をテーマに、オープンマイク等、表現者に開かれた場づくりのプロデュースを行っている。

2010年、米国ワシントンの財団法人カーネギー地球物理学研究所にて、シンガーソングライター中村里美と共に海外初のライブを行い、広島市長のメッセージを届け、広島平和記念公園の被爆アオギリの種から育った被爆アオギリ2世の植樹を行う。

現在、歌と語りで伝える「いのちの音色」全国公演を行っている。中村里美とのデュオによる歌・ギター演奏・トーク・朗読によるライブで、日本全国の小・中・高校や大学、企業、NPO等、さまざまな施設での公演活動を行っている。

2013年夏に完成した「アオギリにたくして」では、音楽監督とプロデューサーを務める。2014年秋公開の「LAST LOVE」(石川均監督作品/出演:火野正平 他)ではギター音楽を務める。製作・プロデューサー・音楽監督をつとめたドキュメンタリー映画「かけはし」劇場公開が2017年2月よりスタート。2020年7月劇場公開の映画『癒しのこころみ〜自分を好きになる方法』ではギター演奏で参加。2020年内に公開予定の映画『祈り-幻に長崎を想う刻(とき)』(監督:松村克弥/主演:高島礼子)ではギターの流し役で初出演。現在、ドキュメンタリー映画『かけはし』製作中。

 

【脚本・監督】 中 村 柊 斗
◎小説家・劇作家・脚本家・映画監督(東京都・大田区出身)

成蹊大学中退後、演劇活動に入り、自ら劇団を作る。劇団解散後は劇作家としてジャパンアクションクラブ(現ジャパンアクションエンタープライズ)に作品を提供。劇団四季にて外国人俳優の日本語指導にも当たっている。2010年、『夢幻の如く―異聞・本能寺の変』(廣済堂出版)で作家デビュー。『奇蹟の如く―異聞・島原の乱』(廣済堂出版)、『最後の贈り物』(双葉社)等が好評発売中。2013年、小説『アオギリにたくして』徳間文庫より出版。
作家・劇作家・演出家・監督として活躍中。ミューズの里の第2作目となるドキュメンタリー映画「かけはし」の監督も担当している。

 

【撮影監督・編集】 倉 本 和 人

1974年大卒後 アニメーションスタジオ、トップクラフトにて「宇宙戦艦ヤマト」「サザエさん」「タイムボカン」「指輪物語」「メガネドラッグCF・桃太郎編」等多数撮影担当。同時に撮影技師伊東英男氏(愛のコリーダ)並びに久我剛師に師事。1978年、にっかつロマンポルノ和泉聖二作品でカメラマンデビュー。以後、フリーカメラマンとして山本晋也・廣木隆一・高橋伴明・滝田洋二郎監督らと組み映画撮影担当する。他に企業PR、CM、単発テレビドラマなどあらゆるジャンルで活躍。CX制作2時間ドラマ「都会のタコツボ師」でギャラクシー賞受賞。萩本欽一プロデュースによる劇映画 「ある臨死」 のストーリー原案、撮影、音楽、編集、を担当する。演出家としても数本のVシネマなどの監督作品を持つ。監督作品「ギニーピッグ/ノートルダムのアンドロイド」「彼女3/kanojyo no sanjyou」「地球の裏の歩き方・テキサス編/リオ編/チリ編」等。
撮影作品「イッセー尾形のロストワールド」「Mr。ゴーストによろしく」「ある臨死/生きる」「コンクリート」「シナリオライター・松本マリ子の場合」「通販生活CM」「そうかもしれない」「湾岸フルスロットル」「前橋ヴィジュアル系」等。

 

☆上映を希望される方は「ミューズの里」上映事業部までお問い合わせください
⇒ E-mail:info@musevoice.com
⇒ E-mail:crosscultureplaza@yahoo.co.jp

TEL(携帯):070-5568-8204
TEL & FAX: 042-810-1100

 

☆映画「アオギリにたくして」公式HP⇒ https://aogiri-movie.net/

 

≪制作協力≫momo企画/ハッピープラザ/Rei23/小笠原企画/e-Kenプロ

※映画「アオギリにたくして」の収益金の一部は、世界各国の学校や施設での上映&ライブや文化交流、平和への思いを被爆アオギリ2世・3世の種や苗にたくして植樹するミューズの里「AOGIRIプロジェクト」事業の活動に使われます。

◎お問合せ先:製作会社ミューズの里

https://aogiri-movie.net/
TEL:070-5568-8204
E-mail: info@musevoice.com または、crosscultureplaza@yahoo.co.jp

【アオギリサポーター応援団】≪広島応援団長:梅谷忠範≫≪東京応援団長:上田紘治≫

<ホーム頁デザイン製作>  渡川修一
<チラシ・パンフレット製作> 吉田しんこ・三浦武治