応援メッセージ

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北岡和義さんからのメッセージ
(ジャーナリスト・日本大学国際関係学部非常勤講師)
「極北の越年、26年後の映画・アオギリ」
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北米大陸の最北端、アラスカ州で被爆体験を英語で語り継いでいる若い女性がいる。この情報を得たぼくはディレクターらスタッフ4人を引き連れて州都ジュノーへ飛んだ。

ぽっちゃりした丸顔で大きな笑窪が可愛いその女性はジュノーのハイスクールの教室で、「サダコと千羽鶴の物語」を英語で熱っぽく語っていた。1986年の12月中旬の事だ。

ぼくは年末特別番組として「中村里美22歳、極北の越年」というドキュメンタリーを制作し、ロサンゼルスの日系社会向け放送した。あの時から26年の歳月が経過した。

ぼくもしっかり老いたし、中村里美さんも円熟のオバハンになった。変わらないのは被爆体験を語り継ぐ、という彼女の生き様であり、「アオギリ」の生命力に心を動かされ、生きる逞しさが蘇った被爆者たちの人生であった。

「映画を創るの」と円熟の平和運動家は言いきった。

「えっ!?」ぼくはゾクッとした。

ロサンゼルスで20年以上も映像制作を続けてきたぼくだから「映画」制作がどんなものかリアルに知っている。それは途方もない資金とエネルギーを費やす作業である。

映画の聖地・ハリウッドを抱えるLAには世界中から映画青年が夢を抱いてやってくる。

ぼくのテレビ局にも実に様々な映画青年がドアを押し、番組制作に係わっていった。でも僥倖にもハリウッドに潜り込み生きている日本人はごくわずかでしかない。

映画には若者を惹きつける魔力のようなものがある。それだけに憑りつかれた青年の光芒と現実の挫折感は恐ろしく深い。

正直言って「止めた方がいい」と思った。だって彼女はど素人なのだ。映画が1瞬の映像にどれほどお金を喰う虫か分かっているとはとても思えない。

「大変だよ映画は…」ぼくは曖昧に言いよどんだ。

2013年正月、彼女が音楽制作の伊藤茂利と熱海のマンションを訪ねてきた。制作中途の映像を見た。リテイクする箇所が何か所もある、との説明だ。リテイクすればするだけまたお金がかかる。でも彼女は怯まない。真剣だ。

後日、台本が送られてきた。

原爆で片足を失った女性の絶望と愛の物語である。ドラマは「アオギリにたくして」生きる被爆者の悲惨と栄光を謳い上げる。そこにエネルギッシュで逞しい里美さんの人生がダブル。もうぼくは「大変だぞう」なんて言わない。

出発してしまった「アオギリ」が人々の胸底に平和を願う残像として消えることはない。

「非核」と言い「核廃絶」を祈って生きてきた日本人は人類史上初の被爆をヒロシマで、第二の被爆をナガサキで、第三の被爆をビキニで…そして第四の被爆をフクシマで体験した。いったい何回、放射能を浴びたらぼくら日本人は核被害から逃れることが出来るのだろう。

憲法を変えるといい、自衛隊を「国防軍」に改名するという政権が2013年1月の現実である。何のために?しかもそれを支持する日本人が決して少なくないという事実に慄然とする。

バルセロナで国際カタルーニャ賞を受賞した世界的なベストセラー作家、村上春樹は311直後の6月、授賞式で強いメッセージを全世界に送った。

ぼくら日本人が歴史的に抱いてきた「核アレルギー」を今こそ大切にしようよ。「効率」だけを追求して生きてきたぼくらは生き方を変えようではないか。たとえそれが電力会社や原発を推進したい勢力から「非現実的夢想家」と呼ばれようと。

ぼくら日本人はヒロシマの平和祈念公園の慰霊碑で誓ったのに「再び過ちを犯したではないですか」フクシマの事故は被害者であると同時にぼくらは加害者でもあるのだと。

映画「アオギリにたくして」は21世紀を生きるぼくら日本人の平和を求める、消えることのない希望の灯として多くの観客に大いなる感動を与えるだろう。それは最早、疑いようのないぼくの確信となっている。

北岡和義(ジャーナリスト)


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伊藤直子さんからの応援メッセージ
(被爆者中央相談所元相談員/日本被団協元事務局員)
「アオギリにたくして」への期待と被爆者
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 広島・長崎に投下された原子爆弾に被爆して被爆者健康手帳を所持する被爆者は、2012年3月末210,830人となっています。この数字は被爆者健康手帳所持者が一番多かった32年前の1980年の372,264人から16万人を超える被爆者が亡くなられたことを示しています。平均年齢が77.44歳となっています。
 近年被爆者の高齢化が叫ばれていますが、実体験をした被爆者が年々加速的に亡くなっていかれているのが現実です。
 被爆者の一番少ない秋田県の被爆者健康手帳所持者は38人です。病気のため体験を語れる被爆者が本当に少なくなっています。また、高齢化に伴って認知症で体験を語れなくなってもいます。これは全国的に共通していることです。それだけに生存する被爆者の被爆体験を継承することは、急ぐ必要があります。継承のかたちは様々なものがあると思います。

 中村里美さんの企画・プロデュースによる「アオギリにたくして」は、中村さんが被爆者沼田鈴子さんの被爆体験と被爆者としての戦後66年の人生を「継承」して、沼田さんの核兵器廃絶の願いを世界に発信しようとするものです。
 1986年にアメリカで広島・長崎を伝えるネバーアゲインキャンペーンの第1期生となった中村さんは、出発前の準備の研修会で沼田さんと知り合ったということですが、多分彼女にとって初めての「被爆者」だったと思います。以来沼田さんがお亡くなりになられる直前まで親交を重ねられていました。

 最近強く思うことですが、被爆者の体験は確かに深刻です。「かわいそうに」と同情しがちですが、深刻な体験を持つ被爆者たちの多くは元気だということです。それは病気をしたり、不安を抱きながらも67年生きてきたこと。自らの被爆体験を語ることで、小中学生などから感謝され、体験を語ることが生きがいとなっているからだと思います。悲しいこと、悔しいこと、苦しいことなどたくさんある中でも、被爆体験を語ることを通して、それが世界の平和につながっていること、目の前で子供たちが目を輝かせて聞いてくれることが喜びになっているのです。長く生きて、体験を語らなくてはとの思いが強くなっているようです。沼田さんもきっとそんな思いだったのではないでしょうか。沼田さんが原爆に抗うようになった姿は、たくさん被爆者に共通しています。被爆者の人間としての強さも見えてくると思います。「アオギリにたくして」が描く被爆者の戦後67年の人生を通して、核兵器廃絶への世論が、国際的なものになることを期待します。
 
伊藤直子
被爆者中央相談所元相談員/日本被団協元事務局員


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ネバーアゲインキャンペーン
代表:北浦葉子さんからの応援メッセージ
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ネバーアゲインキャンペーン(NAC =ナック)の活動は1985年に始まり、これまで50名を越えるNACボランティアが海外にわたり、ヒロシマナガサキの被爆者のメッセージ運んできました。具体的には、主にアメリカの学校をまわり、日本文化紹介を交えながら原爆映画を上映してきたのです。今年2012年までの27年間で、私たちの話を聞いてくれた聴衆の数は36万人を越えるまでになりました。

そして、この度の映画制作活動を始めた中村里美さんは、NACボランティアの第1期生であります。彼女は2本の原爆映画を持ってアメリカの、特にアラスカ州を駆けまわって平和のメッセージを伝え続けました。

私たちの活動がこれまで多くの支持を集めてこられたのは、私たちが上映し続けた映画、「にんげんをかえせ」の素晴らしさにあると言っても過言ではありません。私たちはアメリカに行く前にいつも広島、長崎で合宿を実施し、映画「にんげんをかえせ」の主人公の方々に直接お話しを聞き、そのメッセージをアメリカの人々に運んだのです。沼田鈴子さんはその映画の主人公の一人でした。

沼田さんは私たちの活動に心から賛同してくださり、いつも力強く支え、励まして下さいました。私たちのメンバーの多くは、戦争を知らない若い世代で、そういうメンバーたちに、原爆がいかに不必要なものであるかを、切々と語り続けてくれた沼田さん。私たちは彼女の思いを世界の人々に伝えることを自分たちの使命とさえ思ってきました。沼田さんの思いはどうしても引き継がれなければならない。日本中、そして世界中の人々に。そして、その手段がNAC活動であり、里美さんの映画であると思っています。原子爆弾や放射能の恐ろしさを真に伝えられるもの、それはその爆弾を実際に受けた、体験した、被爆者のメッセージしかありません。それは、世界中の人々が耳を傾けなければならないものであるはずです。

里美さんの映画は、その貴重な被爆者のメッセージを未来に残すもの。だから、絶対に成功させてほしい。私たちは、精一杯彼女を応援したいと思っています。里美さん、がんばれ!!!

ネバーアゲインキャンペーン事務局
代表 北浦葉子


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大川須美さんからの映画「アオギリにたくして」応援メッセージ
(元Cry Against Nuclear Weaponメンバー/1929年生まれ)
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「映画をつくるんです。」「エエッ!!」
私にとって映画は観るものとしか考えたことがなかったので、ただびっくり!
今「女は度胸」と言われていますが、それにしても里美さん何という度胸でしょう。
30年前、私が核兵器反対のボランティアグループの一員だった頃のことを想い返しました。それは「にんげんをかえせ」というヒロシマ・ナガサキの被爆者のドキュメンタリーを20分にまとめたビデオテープを世界中に送ろうというものでした。

日本に来ている外国人で母国に帰った時、出来るだけたくさんの人に見せようという意欲のある人に無償で差し上げる運動です。英・仏・独・スペイン語の説明付きでたぶん一本3千円位だったと思いますが、そのための募金を新聞で呼びかけると、毎日送金が続き嬉しい悲鳴を上げるほどでした。
日本が実験場になってしまったあの原爆を世界の人に知ってもらわなくては!あんなことが繰り返されるなんてことは絶対やめたい!という日本人の切なる気持ちの表れだったのでしょう。

その「にんげんをかえせ」の中に出てくる被爆で片足を失った若い女性が沼田鈴子さんでした。その後、語り部となった沼田さんとの偶然の出会いに恵まれて、「私の事が書いてあるから読んで」といただいた本は、実に感動的でした。その沼田鈴子さんと強い心の結びつきをもって歌や語りで被爆者の思いを訴え続けてきた中村里美さんがプロデュースして、沼田鈴子さんの生涯が映画になる!その資金はみなさんの寄付をもとにして――。
びっくりばかりしていないで、私も何かしなくては――といって無力な私にできることは友人・知人にこの映画の事を知ってもらい、寄付をお願いするだけですが――。

微力でも募金にかかわることは、私自身には出来ない反核の訴えに加わり、沼田鈴子さんの苦しみを超え、勇気をもって素晴らしい道を歩いた生き様を皆さんに伝える一助になると、誰かれに手紙を添えて映画の資料を送っています。すると、「今出来ることをしなくてはネ」「社会にお返しをするべき年齢よ、ガンバッテネ!」などの励ましをいただいたりなどしています。沼田さん、里美さんのお陰で生きがいをいただいたと感謝しています。

大変でしょうが、映画製作の皆さんもガンバッテ!!